「絶対にやめられない」と思っていた
記憶にある限り、ここ10年ほど、風邪をひこうがインフルエンザやコロナにかかろうが、一日も酒を欠かしたことがありませんでした。毎朝のようにお腹を下していたので、自分の体に合っていないことなんて、本当は最初から分かっていたんです。
それでも「これは軽い依存症なんだろう」と思いながら、絶対にやめられない、いや、やめることなどできないと、どこかで諦めていました。
飲んでいたのは「意志」じゃなく「ルーティン」だった
禁煙が90日を迎え、区切りの3ヶ月に到達したタイミングで、もう一つの挑戦として「節酒(平日の禁酒)」を始めてみることにしました。
やってみて分かったのは、当時の自分は特別な言い訳をして飲んでいたわけではなかった、ということです。ただ文字通り、機械的に、当然のルーティンとして、習慣で飲んでいた。自宅にアルコールをストックしておき、帰宅すれば冷蔵庫から取り出してプルトップを開け、グラスに注ぐ。ビール350ml缶を1本飲んだら焼酎の水割りを2杯、そして眠くなったら寝る。その一連の動作に、意志や感情はありませんでした。ただ生活の歯車の一部として、自動的に組み込まれていただけだったのです。
やってみたら、案外あっさりだった
いざ平日の酒を断ってみると、あんなに固く結ばれていたと思っていた「当たり前の習慣」も、本気でほどこうと思えば、案外すんなりほどけていくものでした。
家には今でも普通に酒を置いてあります。それでも、平日はただ淡々と手を伸ばさない。それだけのシンプルな選択を貫くだけで、不思議と「飲みたい」という欲求の波はやり過ごせるようになりました。
「10年間毎日飲んでいた」という事実だけを見ると、まるで巨大な壁のように思えます。でも、いざ一歩を踏み出してしまえば、壁の正体はただの思い込みだったりする。禁煙にしろ、今回の節酒にしろ、結局のところ「自分の意志の強さ」なんて大した問題ではないのだと思います。大事なのは、自分が囚われている「当たり前」を、少し離れた場所から疑ってみることでした。
地味なプロセスの先へ
車のローン繰上返済、貯金、そして投資。正直に言えば、まだ始めたばかりで全く面白くありません。派手なリターンがあるわけでもなく、ただ数字を動かしているだけのような地味な作業の連続です。
お酒をやめて浮いたお金や時間も、劇的な変化を生むわけではありません。それでも、自分を縛っていたものを一つずつ手放し、必要な規律を淡々と積み上げる。この地味なプロセスこそが、自分という人間を経営していく唯一の道なのだと、今は信じています。
明日になれば、またいつも通りの日常が戻ってきます。特別なことは何もしていません。ただ、自分を縛っていた鎖をひとつ外して、今日も淡々と進んでいくだけです。

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